北京雑感―47A

「中国」は健在なり

 

 今年は、例年になく厳しい暑さが続いています。北京では、古老が「立秋まえの10日ほどが一年で一番暑い」と言い習わし、暮らしの中で実感したものでした。その一番暑い時期に、中国でもかなり暑いといわれる黄土高原、陝西省延安付近の、所謂陝北地方に行って来ました。この旅については、わんりぃ10月号の誌面でご報告させていただきたいと思いますが、今月は、この旅の一番の印象、「中国」はやっぱり「中国」だったと言うお話をさせていただきます。

 大きく立派に完成した北京首都空港に到着して変化を実感し、タクシー乗り場では、改悪とも取れる変更にも遭遇して、「中国は変わった」と感じましたが、その夜、「中国は不変」と言う事実にたっぷりつき合わされるとは思いもしませんでした。

 今回は、夜行列車に乗ることも旅の目的の一つでした。以前、北京から長沙まで、夜行寝台車で独り旅をした時、コンパートメントの寝台にはカーテンも無く、知らない人の中に独りだけいると、なまじコンパートメントであることで非常に落着かない気持になり、独り旅の時は硬臥の方が良いと思ったものでしたが、この度は4人なのでコンパートメントを独占出来、初めて快適な夜行列車の旅が出来ると期待しました。

 列車はT432136北京西駅発、翌日1324延安着なので、1900頃タクシーで北京西駅に行きました。北京西駅は相変らず人と車でごった返しており、その間を縫うようにして、でこぼこの地面の上でスーツケースを転がしながら、柵の隙間に設けられた改札所を通りました。この改札口は臨時のもので、移動式フェンスで駅の正式な入り口を取り囲み、発車時刻が3時間以内の切符を持っている人だけを通していました。その改札口を通って、駅の正式入り口で荷物の安全検査を受け、やっと駅構内に入れました。そこも人が一杯でしたけれど、駅前の喧騒から逃れて「やれやれ」と思える空間でした。

 天井から吊り下げられた、大きな大きなボードで、我々の列車の待合室を捜しました。出発時間の2136で捜しても、行き先の延安で捜しても該当する列車が見当たりません。ドキドキしながら、更に列車番号で捜すと、表の後ろの方でやっと見つけました。ところがそれは何と、出発時間が2330、行き先は西安となっているではありませんか。動悸が激しくなり、汗ばんだ手の中にある切符の列車番号と時間・行き先を何度も何度も確かめましたが、番号は間違いありません。安全検査後の乗客を捌いている係員に訊こうとしましたが、完全に無視されてしまいました。仕方が無いので、とりあえず指定された待合室に行ってみようというので、駅構内を移動しました。大きな広場のような通路ですが、待合室から溢れた人達が並んで腰を下ろしているので、通れるところは狭く、床面が平らなのだけが救いと言う状態で目指す待合室へ向かいました。

 ところが、この待合室にも何の情報も無く、訊ねる係員もいないのです。情報を得るために、荷物を置いて、また通路に出ましたが、そこにも係員の姿は全くありません。キョロキョロしているうちに、入り口近くでやっとインフォメーションデスクを見つけました。若い女性が独りで対応しており、しかもこの女性は時々後ろの部屋に引っ込んでしまうので、カウンターが無人になることも間々ありました。問合せの人が引きを切らない中、私も頑張って、切符を見せながら「2136発の予定だが」と訊くと、「その列車は遅れている」との返事、「何故遅れるのか?」{分からない}、「西安から延安まではいけないのか?」、「分からない」と「分からない」の連発で、かなり粘って分かったことは、「西安からの到着が遅れたので、折り返しの列車が遅れた」と言う事実だけ、西安から先がどうなるかは、この女性も本当に分からないようでした。

 この時になって、我々の切符は軟臥なので別の待合室があるのに気がつき、そちらに移りましたが、そこにも特別な表示は無く、2200過ぎになってやっと出てきた表示は、「T43  2330 西安 遅延」と言うものでした。この表示おかしいですよね。日本なら、本来の出発時間2136以前から表示を始め、本来の行き先を書いてから、遅延なり行き先変更を掲示すると思うのですが、遅れた時間近くなってから上記のような表示が出ると、2330より更に遅れるのかと思ってしまいます。しかし此処は中国、2330には列車が出発し、列車の車掌さんに問質して分かったことは、「延安―西安の間で、雨により線路が傷んで、間引き運転をしているので、この列車は延安まで行かない。延安行きが全く無いわけではないが、急ぐなら、西安で降りてバスで行くほうが速い。」と言うことでした。

 延安には我々の到着を待っていてくれる友人がいるので、何時動くか分からない列車を待つわけにはいかないので、西安で切符の払い戻しを受け、延安行きのバスに乗りました。書いてしまうと、たった2行ですが、この払い戻しを受けるのには、北京での苦労に倍増する困難が有りました。北京と西安の経験から、中国の旅は身軽で神経が太くないと続けられない、と思い知らされました。

 高層ビルが立ち並び、自動車や携帯電話が普及しても、中国の本質的な処が変わるのにはまだまだ時間がかかるのだと、鉄道における昔ながらの「中国式取り運び」を体験して、改めて実感しました。

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