北京雑感―43

 

囲い

 

 遥か上空の衛星から地球を眺めて、識別できる人間の営みの痕跡は万里の長城だけと言われます。確かに、長城を目の当たりにして、堅牢な壁が山を越え、谷を走り何処までも続くスケールの大きさには圧倒されます。と同時に、聳え立つ頂から目もくらむ谷底まで雪崩落ちるように連なる建造物には、造った人々の執念が感じられて、より一層の感動を覚えます。

 長城の意義は、場所や時代によって様々に考えられますが、誤解を恐れず、ごく大雑把にいえば、民族の囲いと言えるでしょう。そして、この長城を囲いだと思えば、北京市内のあちこちに規模こそ小さいものの、多くの囲いがあることに気付きます。

 初めて北京で暮らした時、街並みが明るいのに妙に閉鎖的な感じを受けました。暫くはその理由が分かりませんでしたが、やがて納得しました。商店街などで、一棟の建物が終わって路地があってもそこにはフェンスがあり、門があって建物の裏手には回れないようになっています。一ブロック全体が囲われ、表通りに面した建物の後ろにも建物があるのですが、そこに住む人々は何箇所かにある門から出入りをしています。

 友人が住む精華大学の敷地内でも同じで、少し古い5階建てのアパート十数棟の周りをフェンスが取り囲み、そんな囲いが幾つかあって、それぞれ東楼、南楼、中楼とか呼ばれるブロックになっています。門には管理人小屋があり、出入りする人々を監視しています。と言っても、事実上、殆どフリーパスです。然しながら、初めて訪問する人間にはかなり気になるもので、防犯にはある程度役立っていると思われます。幾つかある門の一つは24時間開いていますが、残りの門は、朝6時から夜10時までしか通れません。友人宅で麻雀をして終了が10時を過ぎると、近くの門を出てすぐの所に住んでいる人でも、反対側の開いている門から出て、ぐるっと回って帰らなければなりません。そんなことを何回か経験すると、安心ではあるけれどちょっと不便だと感じたものです。

 もともと北京では、国の機関や、国営の会社等は、事務所と職員の宿舎が隣り合わせでしたから、それぞれが全体を囲って、人の出入りも厳重に監視していたようです。住宅は居住者が所有権を買い取り私有になっているので、定年退職後もそこに住み、子供たちはそこから外の職場へ働きに出たりして、機関に働く人が外から通ってくると言う変則的なことも多いようです。

 最近、日本でも報道された、北京市内での強引な立ち退きが問題になっている地域は、大きな機関等の後ろ盾がない一般市民の集合住宅だったのでしょう。そのような地域でも、もともとは一ブロック全体が塀で囲まれていました。

 囲いの内側の状況は様々ですが、北京では、このような囲みを小区と呼んでいます。日本で言えば、自治会でしょう。どういう組織になっているのか、詳しいことは分かりませんが、北京の小区は、日本の自治会等より結びつきが強固で、しかも行政に組み込まれていて、それなりの機能を果たしているようです。

 今、北京ではマンション建設ブームですが、北京のマンションは、一棟だけというのが殆どありません。高層ビルを67棟建て、中心に洒落た庭園を配して高級感を醸し、頑丈な門と囲いを設けて、守衛さんを常駐させて、富裕層向けの高級マンションが出来上がります。

 それで、北京の街、特に居住区を歩いていてにわか雨に降られると大変です。ちょっと軒先で雨宿りなどと言うことが出来ません。囲いは、レンガだったり、モルタルだったり、鉄の柵だったりといろいろですが、一ブロックすっかり囲いがあって、中に建物が見えていても、その軒先に走りこむ術がないのです。 

 北京以外では、一度河北省の承徳に出かけた時、やはり囲いが気になりました。承徳は皇帝さまの避暑山荘で有名ですが、その山荘も塀で囲まれていました。小高い所から遠くに山荘を見下ろすことが出来たのですが、塀の高さは2m足らずですが、かわらをのせた塀が山荘の門から始まって、裏山を登っていくのです。長城と同じように、山の頂から谷底へと続きます。長城の縮図を見ているようで、規模が小さい分、余計にその建設意図を感じました。裏山は険しくて、外敵が態々そこから侵入するようにも思えませんし、何と言っても皇帝さまなのですから、その山自体を山荘に取り込めば済むと思うのですが、若しかしたら、塀のある風景に価値があると考えているのかもしれませんね。

 もう一つ、塀の話です。精華大学構内の居住区で、新しい食堂・市場の入るビルを建てることになり、そこにあった小喫(軽便な食事所)長屋を取り壊すとすぐに、レンガと漆喰で立派な塀が出来ました。その塀は新しい建物の一部だと思いましたが、大違いでした。何と、その塀は、工事用の囲いだったのです。普通ならトタン板か金網、或いは鋼材をならべて作るフェンスだったのです。当然、工事が済んだら、この塀は跡形も無くなり、随分無駄なことをするとおもったものです。

 このような事例を見て、私の偏見に満ちた心は、中国のひとびとは無類の“囲い好き”だと、結論付けました。

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